宗牧は大永7年(1527)宗長の誘いで駿河まで下り、さ らに東国を遊覧
しようとしたが、事情が許さず、今回(天文13、1544)は 宿願を果たす
旅だった。また、彼は近年中風を病んでお り、東国の温泉での治療も
目的としていた。
天文13年 (1544)9月下旬、京都を出立。宗牧の年齢は不明である が、
20歳に近い息子(後の宗養)を伴っており、自身は既に老境に達していた
と思われる。
10月は近江の石山寺、観音寺城などに滞在、11月に伊勢から那古野(
名古屋)の織田信秀をたずね、朝廷からの奉書を渡す。年末に駿河の府中
(静 岡市)に着き、天文14年1月末まで滞在、今川義元にも会っている。
その後、念願の熱海での湯治を終え、2月なかば小田原に入り、当主北条
氏康、 旧知の北条幻庵と交流を深めた。3月初め、鎌倉を経て江戸城に
着き、同7 日浅草・角田川(隅田川)のほとりで紀行は終わる。
神奈川県域では、上記の外、土肥(湯河原)、真鶴、曽我、こゆるぎ(大磯)、
花水川、相模川、砥上が原(藤沢)、江島、鶴岡八幡宮、建長寺、金沢称名寺、
神奈川慶雲寺等の地名や社寺が記されている。なお、紀行にはないが、他の
史料から、宗牧の旅はこのあと筑波、白河関、そして終焉の地、佐野まで
続いたことが知られている。